信仰の奨励に託された B-Pスピリット
―― NATURE KNOWLEDGE A SLIP TOWARDS REALIZING GOD ――


 ボーイスカウト運動は、スカウトに明確な信仰を持つことを奨励しています。何故でしょうか。

 創始者 B-P は、牧師の子息であり、自身が敬虔なクリスチャンでした。普通に考えれば、彼が信じる神や宗派の教えを広めてもよいはずですが、 B-P はそれをしませんでした。
 どんな宗教でも良いから、何しろ信仰を持ち、神の存在を信じましょう、というような主張をもつ団体や運動は、ボーイスカウトかフリーメイソンリーぐらいしか私は知りません。B-P は何故そのような主張をしたのでしょうか。
 B-P がフリーメイソンだったからとか、当時拡大していた共産主義思想に対向する勢力の結集のためとか、諸説を聞いたことがあります。あなたはどれを信じますか。

 信仰の奨励についての B-P の真意を知りたいという思いから、それを探った考察が今回の文章です。デリケートな部分もありますので、読まれて異論を感じる方や立腹される方もおられるかもしれませんが、あえて記してみました。

 私たちが容易に目にすることができる B-P の著書で、信仰に関することについて深く記した文章が、「ローバーリング ツウ サクセス」(原著の出版1922年)の「第5の暗礁 無宗教」の章です。そこから B-P の真意を探ってみましょう。(引用は、Rovering To Success の原文および「ローバーリング ツウ サクセス」ボーイスカウト日本連盟 昭和42年初版発行(中村知氏訳)を参考にしました。訳文の後の数字は、それの頁数です。)

 その章の冒頭は、次の展開で始まります。

  ROCK NUMBER FIVE  IRRELIGION
 ATHEISM
 THERE are a good many men who have no religion, who don't believe in God; they are known as atheists.
 In Great Britain alone there are nine societies of these. They are welcome to have their own opinions in this line, but when they try, as they are always doing, to force these ideas on other people, they become enemies of the worst sort.
 Some of these societies directly attack the religious belief of others in a very offensive way, but I believe that by doing so they are, as a matter of fact, doing more good than harm to the religions concerned, since it makes people buck up and sink their own differences in order to combine together to repel these attacks.
 Here is a specimen of the gratuitous kind of insult which they offer to the Christian religion. It is one among others which have been quoted in the public press during the last few years.

  第5の暗礁 無宗教
 無神論
 世の中には,宗教をもたない者がたくさんいる。神を信じないのである。彼らは無神論者といわれている。
 英国だけを見ても,こういう人々の協会が九つもある。彼らがそういう方針を自分たちの意見として抱くのは結構なことであるが,よくあるようにその意見を他の人々に強制する時,彼らは最悪の敵となる。
 このような協会のあるものは,他人の信仰をきわめて無礼なやり方でまともに攻撃する。けれども,私はそんな行為は事実宗教関係者を害する行為というよりか,むしろ逆に善い行為だと信ずる。なぜかというに,それは人々に自分たちの宗派のちがいを忘れさせて,そのような攻撃に対抗する共同戦線を作らせるからである。
 ここに彼らがキリスト教に対して加えた必要もない侮辱の良い見本がある。次にあげるものは,過去数年間にわたって新聞紙上に掲載されたものの一例である―― (p263)


 ずいぶんアグレッシブな書き方であり、無神論を敵視しているようにも感じます。文章内にある英国内の無神論を唱える九つの協会を特定することはできませんが、19世紀から20世紀になる頃のヨーロッパは、フランス革命以後台頭してきた合理主義やリベラリズム、不可知論等の考え方の拡大に合わせて、ダーウィンが進化論を説いたのをはじめ、フォイエルバッハ、マルクス、ショーペンハウエル、ニーチェ等といった無神論的思想家が出現し、活躍した時代です。保守的な人やキリスト教信者にとっては不安でまた脅威の時代であったであろうことが想像に難くありません。

 次の主張が信仰の奨励を必要とした核心といえる部分でしょう。

 If you are really out to make your way to success - i.e. happiness - you must not only avoid being sucked in by irreligious humbugs, but you must have a religious basis to your life.
 君たちが成功――すなわち幸福――への道へ歩みをふみ出そうとするならば,無宗教ないかもの師の仲間に引き入れられるのを防ぐだけでなく,君の生活に宗教的な基盤をもたせなければならない。(p265)

 ところで、世界の宗教の中には必ずしも神の存在を前提にしていないものもあり※、これについてはどのように思っていたのでしょうか。

 Religion very briefly stated means:
 Firstly: recognising who and what is God.
 Secondly: making the best of the life that He has given one and doing what He wants of us. This is mainly doing something for other people.
 宗教は非常に簡明に述べれば,次のことである。
 第1に,神とは誰か,何か,を認識すること。
 第2に,神が授けた生涯に最善をつくし,神がわれわれに望んでいることを行なうこと。これは,主として,他の人々に役立つことをするということである。(p265)


 God the Creator is recognised by most denominations of religion, but their differences arise over the actual character of the connection of the Creator with the human soul.
 神は造物主だということは大部分の教派が認めるところである。けれども教派の別ができたわけは,造物主と人間の魂との結びつけ方の特性によるものである。(p265)

 と B-P は述べていますので、信仰することは、信じる宗教が違っても、神 = 造物主 を信ずることには相違ない、という思い込みがあったのかもしれません。

 そのあたりの検証も必要かと思いますが、それはひとまず置いておいて、以下、 B-P が 神 = 造物主 について論じている部分を抽出してみました。


 (As…avoiding atheism,…One is to read…the Bible,…) The other is to read that other wonderful old book, the Book of Nature, and to see and study all you can of the wonders and beauties that she has provided for your enjoyment.
 (無神論者にならないようにする方法として,…そのひとつは 聖書を読むことだ。…) いまひとつは,もう一つの素晴らしい古典本,すなわち「大自然」という本を読むことである。そして,大自然が君をたのしますために作った驚異と美について,できる限り観察し研究することである。(p266)

 Bacon wrote, "The study of the Book of Nature is the true key to that of Revelation".
 ベーコンは,「自然という本の研究は,神の啓示をつかむ真の鍵なり」といい,(p267)

 NATURE KNOWLEDGE A SLIP TOWARDS REALIZING GOD
 大自然についての知識は神の存在を認めるひとつの階段である(p268)

 One realises, dimly and inadequately it may be, that there is a bigness around us - that there is the Creator - God.
 人は,はっきりではなく,また不十分であるかもしれないが,われわれの周囲に大きなもの――すなわち造物主――神――が存在することを実感するのである。(p278)

 B-P はこの後、THE BEAUTY OF NATURE (大自然の美)、HIKING (ハイキング)、HUMAN BODY AS AN ITEM IN NATURE STUDY (自然研究の課題としての人体)、MICROSCOPIC NATURE (顕微鏡下の大自然)、TELESCOPE NATURE (望遠鏡で見る大自然)、THE ANIMAL WORLD (動物の世界)、THE SOUL (精神)、CONSCIENCE (良心)、LOVE (愛) の節を設けて説いていきます。

 From tiny microbes seen through the microscope to vast worlds seen through the telescope one begins to realise what is meant by the Infinite, and when one realises that all things, big and little, are working in one regular order in a great set plan, the stars whirling through limitless space, the growth of mountains in the world, the life and reproduction and death in a regular series among plants and germs, insects and animals, one realises that a great Master Mind and Creator is behind it all.
 顕微鏡で見えるこれらの微生物や原子からこの望遠鏡で見える巨大な世界に至るまでを考えるとき,人は無限というものが何であるかをわかり始めるのである。大きなものでも小さなものでも,万物は皆ひとつの大きな設計の中で,一定の理法で動いているのだということがわかってくる。星たちが無限の空間を回転したり,山岳が地上に隆起したり,生命と繁殖と死が植物にも最近にも昆虫にも動物のあいだにも,一定の連続性で進行するのがわかってくると,この理法のうしろに偉大な支配者の心と造物主とがあることがわかってくるであろう。(p290)

 As a man you have this pull over the animal - you can recognise and appreciate both the wonders and the beauties of Nature.
 人間である君は動物がもっていないものをもっている ―― 君は大自然の驚異と美との両方を認識し,それを正しく理解・評価(appreciate)することができる。(p293)

 You have all this extra intelligence, with the ability to apply it. But it is wasted if you don't use it or if you spend it badly, when all around you is the vast universe and God for you to work for.
 君たちはみな,この余分な知性とそれを適用する能力とを持っている。けれども,知性はもしこれをつかわなかったり,または悪用したりするならば無駄になる。君の周囲には広大無辺な宇宙があり,君のために神があってその神のために君は働くのである。(p293)

 There is one thing, however, that I feel sure of myself, and that is that God is not some narrow-minded personage, as some people would seem to imagine, but a vast Spirit of Love that overlooks the minor differences of form and creed and denomination and which blesses every man who really tries to do his best, according to his lights, in His service.
 私はこの点について自分で確信するものがある。それは神というものは一部の人々が考えているような狭量の人ではなくて,宗教形式や教義とか教派などの些細な相違をのり越えた,大きな愛の精神であって,それは自分の能力にしたがって神に奉仕しようと最善をつくしている人のだれをも祝福するものである。(p294)


 はしおりすぎた感がありますが、以上の流れを私なりに整理して換言すれば、次のようになります。

 人間は、世界を 正しく深く認識し理解・評価する(appreciate)ことができる能力をもっている。その能力を駆使し、大自然に目を向け、それを深く研究・探求すれば、君はきっと 造物主 = 神 の存在を感じることになるであろう。その神は、諸々の宗教がうたう(人々がそれぞれ考えて作った諸宗教の)神をのり越えた誰もが一様に実感できる普遍的な神である。
 この世界というものが、神が創ったものであれば、それは神の意思の反映である。神が創った世界であるという認識のもと、その世界のために奉仕する人に対して、きっと神は 幸福 = 成功 を授けてくださるであろう。



 以下、私なりの考察です。

 B-P が信仰を奨励したのは、造物主の存在を否定する無神論の蔓延を防ぐ防波堤にしたかったからと考えられます。
 無神論を認めるということは、造物主の意思自体が不存在ということになり、人がこの世のために奉仕する意義も基盤も失われてしまうことにもなります。
 もしこの世が造物主のない世であるとすると、それは何の意思も意図もない、ただ物質の運動の偶然の重なりによって形成された世界ということになります。私たち人類でさえ偶然の産物であり、その存在の意義(哲学・宗教・思想)も単なる人の思考の産物でしかありません。これは結果的には、自分だけがよければよいとか自分に役に立つものだけが価値があるという利己的または功利的な思想や態度に行き着くことになるでしょう。
 現存の世界の宗教の実態はまだ造物主の本当の姿を解き明かしていないいわば空想の記述であるが、でも造物主はおられる、それは確信する。不完全ではあるが世界に散在する宗教は一応その態度を堅持している。よって信仰を持つことによって無神論からは守られることになる。―― その見識から信仰の奨励という方針が策定されたと理解しました。
 B-P の自然研究を大切にしている態度は、自然科学の発展は、いつしか造物主の存在を明らかにする日が来るであろうことの期待の表明であるとともに、大自然が見せてくれる驚異と美の全事象が造物主の意思のシグナルであると気づいてくれる(信じてくれる)ことを人々に願ったのでしょう。

 どうですか。皆さんはどのように感じられたでしょうか。


 The aim in your Nature study is to develop a realisation of God the Creator, and to infuse a sense of the beauty of Nature.
from "Girl Guiding" (1918)      
 自然研究の目的は創造主である神を知ろうとすることであり、自然の美を理解する心を造りだすことである。
 (「B−Pのことば」ガールスカウト日本連盟 1977年発行 32頁)     


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 ※ B-P は、神(God)=造物主(Creator) がこの世界をお作りになったことを礎にして、論を展開しています。世界に散在する諸宗教は、造物主(Creator) をどのように捉えているでしょうか。まずは、世界三大宗教といわれる キリスト教、イスラム教、仏教 についてみてみましょう。
 キリスト教とイスラム教は、ともにユダヤ教(預言者アブラハムの教え)を基盤にして成り立っているもので、造物主 に当たるものは、ユダヤ教でいう ヤハウェ ( יהוה‎ <ヘブライ語>、旧約聖書の和訳では 主 )であり、それがキリスト教では 神 ( God <英語>、 Deus <ラテン語>、 Θεός <古代ギリシャ語>、 אלהים <ヘブライ語>)、イスラム教では アッラー ( الله <アラビア語>)、と呼称を変えたものだということができます。他の神々の存在を認めない唯一神教(monotheism)でもあります。
 ところが、仏教は、造物主にあたる概念がありません。あえて言えば、般若心経がうたう、照見五蘊皆空、是諸法空相、に示された 空 が世界の根源といえましょう。または 己自身 (三界は唯心の所現)と捉えることもできます。梵天 (ブラフマー ब्रह्मा <サンスクリット>)は、ヒンドゥー教では造物主ですが、仏教では仏法の守護神の一人ということになります。
 ちなみに、神道(日本神話)では、この世の始まりは天地開闢(てんちかいびゃく)であり、その時に現れた 別天津神(ことあまつかみ) の諸神が造物主といえます。
 ギリシャ神話は、パルテノン神殿の存在が示すとおり、かつては有力な一宗教であったのでしょう。しかしキリスト教に席巻され、今日ではファンタジーの一つになってしまっているようです。ギリシャ神話には数々の神が出てきますが、その中で造物主は、ガイア( Γαῖα <古代ギリシャ語>)ということになりますでしょうか。
 ソクラテスやプラトンをはじめとする多くの人々が展開した古代ギリシャ哲学は、宗教になれなかったのでしょうか。それぞれがこの世の真の姿や本質の探究に努めた営みであったといえますが、それらは奴隷制の上で、限局的な営みでしかなかったため、後世に種々の影響を及ぼす思想や世界観を示したにもかかわらず、万民を導く教えにはならなかったのでしょう。なお古代ギリシャ哲学の礎となる宇宙論・自然哲学は、神に立脚しない自然の解釈の壮大な試みといえるもので、神や創世の捉え方も様々です。
 儒教は中国における三教(儒教・仏教・道教)の一つとされていますが、儒教は、仁、義、礼、智、信 というような徳性を説くもので、そこから人の生き方を教えるものです。儒教はどちらかというと無神論思想で、神とか造物主という概念が見当たりません。天 という概念が世界観の礎という感じがします。また、道教における造物主は、中国神話における天地開闢の創世神とされる 盤古 といわれています。
 無神論であるとして諸宗教から敵視されるマルクス主義思想がありますが、それが説く 唯物弁証法 や 史的唯物論 は、諸宗教に劣らない確固たる世界観を描いているものであり、私のうがった見方で言えば、マルクス主義思想も一つの宗教に見えてしまいます。マルクスの「宗教はアヘン」の言葉や、社会主義諸国の宗教排斥や弾圧の歴史が反宗教主義と捉えられ、世の宗教とは別の系列のものと見られてしまっているのでしょう。唯物論思想が展開する「物質の無限階層性」が、神や造物主に代わる概念と捉えることができます。



 参考までに記します。
 文化庁が編集・発行している「宗教年鑑」(平成27年版 平成28年3月30日発行)には、“日本には,神道,仏教,キリスト教,諸教など多種多様の宗教文化が混在している。神道では古くから各地に神社が祀られたほか,幕末維新期には多数の神道系教団が創設された。仏教は,6世紀半ばに移入され,さまざまな宗派が成立し,全国に寺院が分布するに至ったが,明治時代以降も新しい仏教系教団が多く創立されてきた。中国からはこのほか儒教や道教も古代から伝えられており,諸宗教の中に根づいているものもある。キリスト教でもカトリックやプロテスタントの諸教派が伝えられ,イスラーム,ヒンドゥー教,ユダヤ教なども活動している。”と記されています。
 同「宗教年鑑」によると、文化庁が把握している宗教団体数は、包括宗教法人数が 399、単位宗教法人中の単立法人数が 6,935、非法人の包括宗教団体数が 76 (以上平成26年末時点)であり、以上の計 7,410 が日本にある(公認の)宗教の数と言ってもよいでしょう。それらの内、2,177 が神道系、2,857 が仏教系、1,846 がキリスト教系、454 が諸教と分類されています(但し非法人の包括宗教団体数76は除外して集計)。これ以外にも、宗教的教義、思想体系、不文律、迷信等を持つ、非公認の類似宗教団体、地域信仰、地下宗教結社等は数多くあると思われます。更に個人限りの独解の宗教的信心を加えれば、莫大な数になってしまうと思います。


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 ベーコンにしても、ニュートンにしても、またアインシュタインであっても、神の存在を信じ、彼らが自然科学の研究を進めたのは、造物主の真の姿を解き明かしたいという思いが後押ししたともいわれています。B-P の自然研究重視の態度も、それと同じ指向だったのでしょう。B-P は、自然の中のいわゆる 神秘 を、造物主の実在に結び付けています。しかしそれは証明ではありません。21世紀となった今日でも、自然科学は造物主の存在を明らかにできずにいます。自然科学の発展は、はたして造物主の真の姿を解き明かすことができるでしょうか。どのような教義を打ち立てても、現在ではそれは結局仮説でしかありません。ですから、私たちは、結局、造物主 の存在を“信じる”、という心の働きでしか態度を表明することができません。現代の多様な世界観や価値観が共存するこの世界で、どんな態度を表明するか、それが問われているのだといってよいでしょう。
 ∵ アインシュタインの言葉 … “I believe in Spinoza’s God, who reveals himself in the lawful harmony of all that exists, but not in a God who concerns himself with the fate and the doings of mankind.” (私は、運命や人類の所業に関わる神ではなく、存在するすべてのものは法則の調和においてそれらが現されるとするスピノザの神を信じています。) (New York Times, April 25, 1929)


 この世(宇宙、私たちが認識しているこの世界、もし"あの世"があればそれも含めた世界)は、誰かの(何らかの)意思により造られたものか、それともこの世界に元々ある要素のようなものが絡み合ってその結果としての現象のような形で生まれたものか、きっとそのどちらかであると思います (ただし自分が主観的観念論とか唯我論といわれる形の存在でないことが前提)。しかしそのどちらを信じるかについては、それぞれ個々人を取り巻く環境や文化、その人の生誕以来の全経験の質、その人の知識や記憶の総量等によって変わってくると思います。この地上では、そこへ人々を誘導する営みが、宗教という(自分は神の使者だとか啓示を受けたのように主張する)預言者とか覚者等と呼ばれる人達が創始した教えや布教によらなければできないと多くの人が思い込んでいるところに、ことを複雑にしている感があります。世界中に、数え切れないほどの宗教があります。それらの信者でない人からすれば、それぞれの教義や教典は、その宗教創始者の作話、創作、空想、妄想、または魂胆ぐらいにしか思われていない実情があります。いや、不安や脅威から、他宗教信者に異端者というようなレッテルを貼ってしまうことさえあります。この絡み合いにより、迫害や戦争をも引き起こしてきた世界の歴史を見ると、造物主の存在を信じる手立てを、宗教に求めた B-P の思索には矛盾点があるように感じます。ではこの問題から脱却する手段は?と問われた場合、それを明確に答える術は持っていませんが、先人、例えばパスカルがパンセの中で記述した論考等が参考になるのではないかと思います。
 Mais nous ne connaissons ni l’existence ni la nature de Dieu, parce qu’il n’a ni étendue, ni bornes.
 ―
 Mais par la foi nous connaissons son existence, par la gloire nous connaîtrons sa nature.
 Or j’ai déjà montré qu’on peut bien connaître l’existence d’une chose sans connaître sa nature.
 ―
 Parlons maintenant selon les lumières naturelles.
 S’il y a un Dieu, il est infiniment incompréhensible, puisque n’ayant ni parties ni bornes il n’a nul rapport à nous. Nous sommes donc incapables de connaître ni ce qu’il est, ni s’il est. Cela étant, qui osera entreprendre de résoudre cette question ? Ce n’est pas nous qui n’avons aucun rapport à lui.
 Qui blâmera donc les chrétiens de ne pouvoir rendre raison de leur créance, eux qui professent une religion dont ils ne peuvent rendre raison ? Ils déclarent en l’exposant au monde que c’est une sottise, stultitiam : et puis vous vous plaignez de ce qu’ils ne la prouvent pas. S’ils la prouvaient, ils ne tiendraient pas parole. C’est en manquant de preuve qu’ils ne manquent pas de sens. – Oui, mais encore que cela excuse ceux qui l’offrent telle, et que cela les ôte du blâme de la produire sans raison, cela n’excuse pas ceux qui la reçoivent. Examinons donc ce point et disons : Dieu est ou il n’est pas. Mais de quel côté pencherons‑nous ? La raison n’y peut rien déterminer. Il y a un chaos infini qui nous sépare. Il se joue un jeu à l’extrémité de cette distance infinie, où il arrivera croix ou pile. Que gagerez‑vous ? Par raison vous ne pouvez faire ni l’un ni l’autre. Par raison vous ne pouvez défendre nul des deux.
 Ne blâmez donc pas de fausseté ceux qui ont pris un choix, car vous n’en savez rien. – Non, mais je les blâmerai d’avoir fait, non ce choix, mais un choix, car encore que celui qui prend croix et l’autre soient en pareille faute, ils sont tous deux en faute. Le juste est de ne point parier.

 しかしわれわれは、神の存在も性質も知らない。なぜなら、神には広がりも限界もないからである。
 ―
 しかし信仰によって、われわれは神の存在を知り、天国の至福においてその性質を知るであろう。
 ところで、私がすでに示したように、人はあるものの性質を知らないでも、その存在を知ることができるのである。
 ―
 今は、自然の光にしたがって話そう。
 もし神があるとすれば、神は無限に不可能である。なぜなら、神には部分も限界もないので、われわれと何の関係も持たないからである。したがって、われわれは、神が何であるかも、神が存在するかどうかも知ることができない。そうだとすれば、だれがいったいこの問題の解決をあえて企てようとするであろうか。それは神と何の関係も持たないわれわれではない。
 それならば、キリスト者が自分たちの信仰を理由づけることができないからといって、だれにそれを責めることができよう。彼らは、自分たちでは理由づけることができないという宗教を公然と信じている。彼らは、それを世に説くにあたって、それを愚かなもの、と宣言しているのである。それなのに、君は、彼らがそれを証明しないからといって、不平を言うのか。もしも彼らがそれを証明したとするならば、彼らは言葉を守らなかったことになるだろう。証明を欠いていればこそ、彼らは分別を欠かないのである。− よろしい。しかし、このことは、宗教をそういうものとして提供する人たちを許してやり、それを理由なしに提出するという非難から彼らを免れさせてやるかもしれないが、それを受ける人たちを許すことにはならない。− それではこの点を検討して、「神はあるか、またはないか」と言うことにしよう。だがわれわれはどちら側に傾いたらいいのだろう。理性はここでは何も決定できない。そこには、われわれを隔てる無限の混沌がある。この無限の距離の果てで賭が行なわれ、表が出るか裏が出るのだ。君はどちらに賭けるのだ。理性によっては、君はどちら側にもできない。理性によっては、二つのうちのどちらを退けることもできない。
 したがって、一つの選択をした人たちをまちがっているといって責めてはいけない。なぜなら君は、そのことについて何も知らないからなのだ。− いや、その選択を責めはしないが、選択をしたということを責めるだろう。なぜなら、表を選ぶ者も、誤りの程度は同じとしても、両者とも誤っていることに変わりはない。正しいのは賭けないことなのだ。
『パスカル パンセTU』(前田陽一/由木康訳 中央公論新社 中公クラシックス)

⚜       ⚜       ⚜


 私が生まれる前、私は何であったのか、私が死んだ後、私はどうなるのか、そもそも何ゆえに私は存在しているのか、そのようなことは、今ここに生きている私としては知る術がありません (死んだらわかるのかもしれません)。そんな私が、この世界は誰が作ったものか、などということまでを知るまたは想像することは至難の業です。自然科学が今日のレベルにまで発達した時代であっても、人それぞれが日々の生活の中の経験だけで、また学校教育や社会の中の知見の吸収を通しての学習だけでそれを推測または想像することはほぼ不可能でしょう。
 人類にのしかかったこの難問に、その解答を見つける人類の長い努力の成果の一つが宗教であると思います。今、世界中にある宗教の一つひとつは、それらが出来上がった契機は様々ですが、それぞれは、その解答を網羅・完結した仮説の体系と捉えることができるでしょう。これらに私たちはどう向き合うか、それを問われているといってもよいと思います。
 宗教を、冠婚葬祭や季節の節目のイベントや儀式に活用するだけでは寂しいと思います。家や地域の伝統や文化であるとして、日課や習慣として読経したりお祈りするだけではもったいないと思います。
 宗教の一つひとつを読み解けば、それは人類にのしかかった難問に向かい、それの解答を指し示す世界観の体系です。それらは、この世界、宇宙の(人類としては永遠に認識できないかもしれない)真の姿とは、結果として違うのかもしれないけれど、一つの確固とした世界観を人々に提供してくれているという意味で、それを信仰または信心することは、人々の個々にその生の意味を与えてくれることになります。ですから、宗教は、その人の人生の先を照らす前照灯といえるものであり、これを学びこれを信じることは、その人の生の意味を獲得する一つの有効な手段であると評価できます。

(2015.10.12)




     私のB-Pスピリット研究
     @ ボーイスカウト運動についての諸考察 (2014.10.5)
     A スカウティング フォア ボーイズ に記された B-Pスピリット (2015.7.22)
     B 「隊長の手引」に記された B-Pスピリット (2015.8.14)
     C ローバーリング ツウ サクセス に記された B-Pスピリット (2015.8.15)
     D 「パトロール システム」に記されたフィリップスのスピリット (2015.9.26)
     E 進歩制度に託された B-Pスピリット (2015.10.14)
     F 信仰の奨励に託された B-Pスピリット (2015.10.12)
     G 野外活動に託された B-Pスピリット (2015.11.29)
     H スカウト運動に託した B-Pスピリット (2016.7.14)
     I “ちかい”と“おきて”に託した B-Pスピリット (2016.12.12)
     ◎ ベーデン-パウエルのラストメッセージ B-P's Last Message
     J ボーイスカウト研究 (1979.12.14)
     K ボーイスカウト実践記 (1980.4.28)
     L ボーイスカウト活動プログラムの紹介 (1998.6.20)
     M 《資料》B-Pの1926年の講演「ボーイスカウト・ガールガイド運動における宗教」
     N 《資料》1966年のチーフスカウトのアドバンスパーティーの勧告の序文
     O 《資料》ラズロ ナジ 著「REPORT ON WORLD SCOUTING」(1967) の序文
     P 《資料》「An Official History of Scouting」(The Scout Association, 2006) から



   参考までに
   ローバーリング ツゥ サクセス (やんちゃ隊の資料庫 ウェブサイト)
   <http://scout.o.oo7.jp/rts.pdf>
   ROVERING TO SUCCESS (カナダ ScoutsCan.com ウェブサイト)
   <http://www.thedump.scoutscan.com/rts.pdf>
   GIRL GUIDING (カナダ ScoutsCan.com ウェブサイト)
   <http://www.thedump.scoutscan.com/girlguiding.pdf>
   Scouting For Girls: Adapted from Girl Guiding (Google ブックス)
   <https://books.google.co.jp/books?id=yiL3DAAAQBAJ&pg=PT0&lpg>
   SIR ROBERT BADEN-POWELL ON ATHEISM AND RELIGION (USSSP ウェブサイト)
   <http://usscouts.org/scoutduty/sd2gc94.asp>
   "Johnny" Walker's Scouting Milestones Pages, UK
   <http://scoutguidehistoricalsociety.com/>
   「明確なる信仰を持つことを奨励する方法の研究」中村知著(新潟連盟HP)
   <http://www.scout-niigata.org/wp-content/uploads/2011/12/iaieaiia.pdf>




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